計畫緣起

計畫緣起 - 第二の問い:仏教大蔵経の断句(句読点打ち)、または再編集を行う際に、必ず重視すべきことは何ですか?

第二の問い:仏教大蔵経の断句(句読点打ち)、または再編集を行う際に、必ず重視すべきことは何ですか?

答:王穆提居士の『唯識春秋』の本文にある通りです。「なぜ仏教経論は、『論曰』や『述曰』など、大蔵経の原文(元のテキスト)を保持する必要があるのか?例えば『成唯識論述記集成編』では、なぜ本論に『曰』の字が置かれているのかについて言及しています。『然るに倶舎論には帰敬頌と長行の釈があり、これらもまた世親菩薩が製作したものである。摂論には帰敬偈のみがあり長行の釈はなく、本と釈の両論は作者が異なる。今は摂論と同じく、また倶舎論等に準ずる。正宗の頌の前には皆「頌に曰く」の言葉を置き、長行の冠には「論に曰く」を置く。今の論もまた同じである。頌の言葉は長行には通じず、論は二種に通じるため、今「論に云う」と言っても大きな妨げはない。これ以下の牒文(引用文)はすべてただ「論」とだけ言い「云」の字を加えないが、諸論は皆「曰」の字を置いている。』すなわち、長行の冠には『論に曰く』とあることを知るべきであり、編集者の意図で勝手に削除してはなりません。」

「しかし、もし経論の再編集、疏文、断句、対読整理、あるいは解釈を行う者は、経論文句の位置を絶対に変更してはなりません(経論文句の上下の位置を逆転させるなど)。また、大蔵経に元々ある論文を削除してはなりません。そうでなければ大きな過ちとなります。どのような過ちか?それは信(信仰・信頼)を生じさせることができなくなるという大きな過ちです。もし経論の本文を削除したり順序を入れ替えたりする必要がある場合は、未来の学習者に誤解を与えないよう、必ずその理由を一、二説明すべきです。…仏教経論の一字一句に対して深く思惟すべきであり、そうして初めて法門に入り、誤解を生じることがなくなります。」