〈唯識道次第略〉

〈唯識道次第略〉 - 〈唯識道次第略(ゆいしきどうしだいりゃく)〉

 

〈唯識道次第略〉
〈唯識道次第略〉

〈唯識道次第略(ゆいしきどうしだいりゃく)〉

唯識に悟入(ごにゅう)する五位とは何か?

一、資糧位(しりょうい)。大乗の順解脱分(じゅんげだつぶん)を修めることをいう。

二、加行位(けぎょうい)。大乗の順決択分(じゅんけっちゃくぶん)を修めることをいう。

三、通達位(つうだつい)。諸々の菩薩が住する見道(けんどう)をいう。

四、修習位(しゅじゅうい)。諸々の菩薩が住する修道(しゅどう)をいう。

五、究竟位(くきょうい)。無上正等菩提(むじょうしょうとうぼだい)に住することをいう。

どのようにして漸次(ぜんじ)に唯識に悟入するのか?

すなわち、諸々の菩薩は識の相(そう)と性(しょう)について、資糧位の中において能く深く信解(しんげ)し、

加行位においては、能く漸く所取(しょしゅ)と能取(のうしゅ)を伏除(ふくじょ)して、真の見(真実の智慧)を引発し、

通達位においては、如実に通達し、

修習位の中においては、見た所の理の如く、数数(しばしば)修習して、余障(残りの障り)を伏断(ふくだん)し、

究竟位に至っては、障りを出でて円明(えんみょう)となり、能く未来を尽くして有情の類を教化し、復(ま)た唯識の相と性に悟入せしめるのである。

そして道次第とは、菩薩の五位を以下のように摂(おさ)める:

一には、資糧位。また順解脱分ともいう。この位は地前(じぜん)の四十心、すなわち十信(じっしん)、十住(じゅうじゅう)、十行(じゅうぎょう)、十廻向(じゅうえこう)の位を摂める。

二には、加行位。この位は見道の加行(けぎょう)であり、旧訳(くやく)では方便位ともいうが、順ではないからである。この位は煖(なん)、頂(ちょう)、忍(にん)、世第一法(せだいいっぽう)を摂める。順決択分とするのは、見道の無漏智(むろうち)を以て真実の決択分とするからである。

三には、見道位。この中に二つある。真(しん)見道位と相(そう)見道位である。真見道位では二障(にしょう)を断じ二空(にくう)を証する。相見道は後得智(ごとくち)を体として非安立諦(ひあんりゅうたい)を観じるのに三品(さんぽん)の心がある。

一、非安立諦を観じることに、三品の心がある:

一に、内遣有情仮縁智(ないけんうじょうけえんち)。能く軟品(なんぽん)の分別随眠(ふんべつずいみん)を除く。

二に、内遣諸法仮縁智(ないけんしょほうけえんち)。能く中品(ちゅうほん)の分別随眠を除く。

三に、遍遣一切有情諸法仮縁智(へんけんいっさいうじょうしょほうけえんち)。能く一切の分別随眠を除く。前の二つは法智(ほうち)と名付ける。各別に縁じるからである。第三は類智(るいち)と名付ける。総合して縁じるからである。真見道の二空の見分(けんぶん)、自ら断じる所の障り、無間(むけん)・解脱(げだつ)に法(のっと)り、別と総を建立するものを、相見道と名付ける。

二、安立諦(あんりゅうたい)を縁じることに、十六心がある。これに復た二つある:

一つには、所取と能取を観じることに依って、別に法と類の十六種の心を立てる。すなわち苦諦(くたい)において、四種の心がある:

一に、苦法智忍(くほうちにん)。三界の苦諦の真如を観じて、まさに三界の「見苦所断(けんくしょだん)」である二十八種の分別随眠を断じることをいう。

二に、苦法智(くほうち)。忍(にん)の無間(むけん)に前の真如を観じて、前(さき)の断じた所の煩悩の解脱を証することをいう。

三に、苦類智忍(くるいちにん)。智の無間に無漏の慧が生じ、法の忍と智において各別に内証し、「後の聖法も皆これと同類である」と言うことを指す。

四に、苦類智(くるいち)。この無間に無漏の智が生じ、苦類智忍を審定し印可することをいう。

苦諦において四種の心があるように、集・滅・道諦においてもまたそうであると知るべきである。この十六心は、八つが真如を観じ、八つが正智を観じる。真見道の無間と解脱、見分と自証分に法(のっと)り、差別して建立するものを、相見道と名付ける。

二つには、下(欲界)と上(色界・無色界)の諦境を観じることに依って、別に法と類の十六種の心を立てる。すなわち、現前(欲界)と不現前界(上二界)の苦などの四諦を観じることに、各々二心がある:

一に、現観忍(げんかんにん)。

二に、現観智(げんかんち)。

その相応する所のごとく、真見道の無間と解脱に法(のっと)り、見分が諦を観じて、「見所断」の百十二の分別随眠を断じるものを、相見道と名付ける。

もし広く布かれた聖教の道理に依れば、相見道には九種の心があると説かれる。これはすなわち前に依り、安立諦を縁じる二十六種の止観を別に立てたものである。すなわち法類品の忍と智を合わせて説けば各々四観があり、それが八心となる。八に相応する「止」を総じて一つとする。見道の中においては止観双運(しかんそううん)であるとはいえ、「見」の義においては、観が順じており止ではない。ゆえにこの観と止は開合(展開と統合)が異なるのである。この九心に由って、相見道と名付ける。

四には、修習位。この位はさらに進んで無分別智を修し、残りの障りを断じる。初地の住・出の後から、第十地の金剛無間道(こんごうむけんどう)に至るまでを、修道と名付けるのである。

十地(じゅうじ)とは以下の通りである:

一、極喜地(ごっきじ)。初めて聖性を獲得し、二空を具さに証し、能く自他を益し、大いなる喜びを生じるがゆえである。

二、離垢地(りくじ)。清浄な尸羅(しら:戒)を具え、微細な毀犯(きはん)を起こす煩悩の垢から遠離するがゆえである。

三、発光地(ほっこうじ)。優れた定(じょう)と大法総持(だいほうそうじ)を成就し、能く無辺の妙なる慧の光を発するがゆえである。

四、焔慧地(えんえじ)。最も優れた菩提分法に安住し、煩悩の薪を焼き、慧の焔(ほのお)を増すがゆえである。

五、極難勝地(ごくなんしょうじ)。真と俗の二智は、行相(ぎょうそう)が互いに違(たが)うが、それを合わせて相応せしめることは、極めて克ち難いがゆえである。

六、現前地(げんぜんじ)。縁起の智に住し、無分別の最も優れた般若を引いて、現前せしめるがゆえである。

七、遠行地(おんぎょうじ)。無相の住に至る功用(くゆう)の後辺(最後)であり、世間や二乗の道をはるかに超え出るがゆえである。

八、不動地(ふどうじ)。無分別智が任運(にんうん)に相続し、相(そう)や用(ゆう)、煩悩によって動かされることがないがゆえである。

九、善慧地(ぜんえじ)。微妙なる四無礙解(しむげげ)を成就し、能く十方に遍く善く法を説くがゆえである。

十、法雲地(ほううんじ)。大法の智の雲が、多くの徳の水を含み、虚空のような麤重(そじゅう)を覆い隠し、法身に充満するがゆえである。

このような十地は、有為・無為の功徳を総攝して自性とする。修する所の行のために優れた依持(えじ:依り所)となり、それを生長せしめる。ゆえに地(じ)と名付けるのである。

十地を以て十勝行(じゅっしょうぎょう)を成満する。十勝行とは、すなわち十種の波羅蜜多(はらみった)である。

施(布施)には三種がある。すなわち財施(ざいせ)、無畏施(むいせ)、法施(ほうせ)である。

戒(持戒)には三種がある。すなわち律儀戒(りつぎかい)、摂善法戒(しょうぜんぼうかい)、饒益有情戒(にょうやくうじょうかい)である。

忍(忍辱)には三種がある。すなわち耐怨害忍(たいおんがいにん)、安受苦忍(あんじゅくにん)、諦察法忍(たいさつほうにん)である。

精進には三種がある。すなわち被甲精進(ひこうしょうじん)、摂善精進(しょうぜんしょうじん)、利楽精進(りらくしょうじん)である。

静慮(禅定)には三種がある。すなわち安住静慮(あんじゅうじょうりょ)、引発静慮(いんぱつじょうりょ)、辦事静慮(べんじじょうりょ)である。

般若には三種がある。すなわち生空無分別慧(しょうくうむふんべつえ)、法空無分別慧(ほうくうむふんべつえ)、倶空無分別慧(ぐくうむふんべつえ)である。

方便善巧には二種がある。すなわち廻向方便善巧(えこうほうべんぜんぎょう)、抜済方便善巧(ばっさいほうべんぜんぎょう)である。

願には二種がある。すなわち求菩提願(ぐぼだいがん)、利楽他願(りらくたがん)である。

力には二種がある。すなわち思択力(したくりょく)、修習力(しゅじゅうりょく)である。

智には二種がある。すなわち受用法楽智(じゅゆうほうがくち)、成熟有情智(じょうじゅくうじょうち)である。

五には、究竟位(くきょうい)。無上正等菩提に住し、障りを出でて円明となり、能く未来を尽くして有情の類を教化し、復た唯識の相と性に悟入せしめることをいう。

この位では果が円満に転じる。三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)にわたり無辺の難行と勝行を修集し、金剛喩定(こんごうゆじょう)が現前する時、本来の一切の麤重(そじゅう)を永断し、頓(とみ)に仏果を証して転依(てんえ)を円満し、未来際を窮(きわ)めて利楽すること無尽である。

前の修習位において得た所の転依は、すなわちこれ究竟位の相であると知るべきである。

これ、すなわち此の前の二転依(にてんえ)の果は、究竟無漏界(くきょうむろうかい)に摂められる。諸漏(しょろう)が永く尽き、漏の随増にあらず、性は清浄で円明である。ゆえに無漏(むろう)と名付ける。

界(かい)とは、これ蔵(ぞう)の義である。この中に無辺の希有な大功徳を含容するからである。あるいは因(いん)の義である。能く五乗(ごじょう)の世間・出世間の利楽の事を生じるからである。

--- 台湾 王穆提 略書